【年間平均20人退職】ブラック企業に入って心身ともに崩壊しかけた話~退社まで~

 

こんにちは、はにーです。

今回はベトナム関係の記事ではないんですが、会社がらみでかなりやばい体験をしたため、書いておこうと思いました。とりあえず今は落ち着いたので、事の顛末を書こうと思います。今ブラック企業に勤めている人の参考になればと思います。

 

ブラック企業と無縁の社会人生活

 

元も私は働きたい業界が決まっており、その業界そのものがややブラックが多いというので有名でした。がしかし、ラッキーな私は29歳になるまで、超ホワイティな企業に勤め続けており、どの会社の社長も割と自由にさせてくれていました。なので、私はこの業界に対してブラックというイメージはあまりありませんでした。

しかし29歳の時、私が勤めた会社によって人生が一変します。そのころ私はベトナム人の彼と結婚したばかりであり、ベトナム人の彼が日本で暮らす準備をするため条件のいい会社に就職しようと考えます。

結果的に、ちょうどそのポジションの人があくということで応募した企業に受かりました。給与が良かったため、ほかにも内定をもらっていた2社をお断りし、その会社に就職を決めたのです。

この決断がのちに大きな公開になるとは知らず…。

 

ブラック企業への違和感は面接から始まる

 

面接へ行った際、面接官の2人はとてもいい人そうに見えました。フランクな雰囲気で、優しい。それが第一印象でした。面接官だった人事のAさんと、のちに私の直属の上司となる部長Bの面談のあと、社長面接へたどり着きました。社長も気が強そうではあれど、優しそうなイメージです。

しかし、私には気になることがありました。会社に行くと、まず受付がありませんでした。そのため、誰かに声をかけようとしたのですがいかんせんオフィスが静かすぎてなんとも声をかけずらいのです。

案内してくれた応接間に行く間、社員の方がじろじろとこちらを見ていました。(なぜなのかは後程でてきます)。また、社員同士が一切私語をせずシーンとした雰囲気で、社内はまるで90年代にタイムトリップしたかのような灰色の四角い机、そして大量のファイル、紙、に覆われています。ずっと海外で働いてきた私からすると、この時点で違和感を感じ始めます。

さらに、応接間に通されると見えたのが、大量の置物。物は動物の置物だけで、ざっと100体以上はあるようです。私はやや、この光景にぞっとしました。

しかし先ほども言ったように、面接官の印象が悪くなかったのと、お給料が良かったのでこの会社に入社することになりました。(タイムトリップできるならここで自分を殴りつけてやりたいw)

 

入社1日目からドン引きの数々

 

入社して1日目、同じ日に採用された同期2名とオリエンテーションを受けました。

その際に、人事のAさんが社内規則が書かれた冊子をわたし、確認していくのですが、私はここで耳を疑いました。

人事A「はい、ではここの3行目から、〇〇さん読んでみましょう!」

小学校できいたことあるようなセリフでした。まさか、大の大人に輪読させる気・・・か?なんとなくここから違和感を感じ始めるようになります。

さらに、その後ほかのスタッフから社内の説明を受けた際に、就業時間の15分前には会社へきて、掃除をしてください。当番表はここです。と淡々と言われました。

え?就業時間の15分前に来て掃除が強制?しかもその時間は無給?というのが私の率直な心境でした。面接の際に始業時間を確認した際、そのようなことは一言も言っていなかったからです。私の違和感はさらに強まっていきました。

そしていよいよ就業時間になった際、朝礼が毎日あるということを聞かされました。5分くらいで各部署の大事なことなどを共有するのかな・・・と思っていたのですが、すべての部署の売り上げ数字、管理部からの補足、さらにはほとんどの人に関係がない外出予定まですべて細かく言うのでそれを聞くだけでも15分間はたちっぱなしでした。

さらに最後に、ブラック企業ありがちな唱和が強制でした。31日間決まった内容の名言をみんなで大声で唱和します。声が小さいと社長が気を悪くし、みんなの前で怒られます。さらに、個人の仕事上のミスなども朝礼で全社員の前でつるし上げにあうこともありました。

これまでいわゆる海外の会社の自由な雰囲気で働いてきた私には、この時点で相当な苦痛でした。そして、この3日後、同期の一人は急にいなくなりました。会社の雰囲気が合わないという理由で急に退職をしました。(お別れも言えてないw)

さらに立て続けに、斜め前に座っていた同僚も精神疾患で退職をしました。ここから何かがおかしい・・・と思い始めるようになりました。

先ほど面接のときにじろじろ見られた、という理由はここでした。ま~また何も知らない新人が来たなぁ、入らないほうがいいぞ!今度の新人は1か月もつと思う?と同僚同士でニヤニヤしながら話しているのでチェックされていたようです。笑

 

社内には常に、ヘイトと病気があふれていた

私がさらに苦痛に感じたことは、社員の90パーセントが会社を嫌っていることでした。

私の隣の席のスタッフは、常に会社の悪口を私に言ってきました。口を開けばこの会社は気をつけろ、という忠告です。そのスタッフだけではなく、ほかのスタッフもそうでした。二人きりになる機会があればこの会社の悪口や不満を言い続けます。

私は入社したばかりであまり理解ができませんでしたが、数か月も働けばこの会社を嫌いになる人が圧倒的多数だったのです。また、1か月に2~3人は社員が辞めてしまうため、常に仕事量は2~3倍くらいありました。

その一方、役員は社長を崇拝しており、カルト的なノリがありました。社長が来ると目がウルウルし、震えだす役員もいました。褒められると震えて喜び、ミスをすると必死にもみ消そうとしていました。(普通に考えるとアウト・・・)

私の直属の上司Bは原因不明の内臓疾患で倒れ入院、私の先輩は婦人科系の病気にかかりその後転職、クライアント側にも原因不明の病気で救急搬送されたり、末期がんが見つかるなどが多くみられました。そして、私も脳梗塞で倒れ(詳しくはこちらの記事で書いています)、私の後任も恋人からのDVで手術が必要となり入院するなど、常にだれかしら病気になっていました。

今までの職場ではここまで不幸が続いたりすることは少なかったので、逆に驚きました。しかし、人手不足による仕事量の増大や、さらには土曜日出勤もあったため、あまりゆっくり休んだ気になりませんでした。この時、わたしは週に1回しか休みがないと人間ちゃんと休むことができず、肉体的も精神的にもにつらいんだな、と学びました。

私生活でも大変な思いをしていた私は、仕事のストレスからも体調を崩し、脳梗塞になり、やっと休むことができたのです。今思えば、私の心と体は悲鳴を上げていましたが、生活のために無理をしていたのでしょう。

今まで健康優良児だったわたしにこんな重大な病気が襲うとは思いませんでした。ましてや20代だったため、病院の医者も首をかしげるばかりでした。

ちなみにそのオフィスがある場所はもともと無縁仏を供養していた寺であり、その寺を反対にもかかわらずつぶして商業ビルを建てたという歴史がありました。そのため、地元の人の間では幽霊が出るといううわさで有名でした。

さらに、その商業ビルから飛び降り自殺する人も絶えず、ビルの上には小さな神社が建てられています。そういった土地の影響もあるのでは?と霊感の強い友達は言っていました。(ほんとかどうかは不明ですが・・・)

 

強制参加のクリスマスパーティー&イベント

 

今も忘れられないのですが、年末に社長の家で社員全員がクリスマスパーティーをするという決まりがありました。もちろん強制参加なのですが、一部の社員は自宅まで呼ばれ、料理の準備を手伝わされていました。

社長は配偶者に先立たれ、一人で生活をしていたので寂しかったのでしょう。とにかくイベントが好きでした。社員を自宅に呼びつけ、家の仕事をさせたりもしていました。

クリスマスパーティーでは、幹事を任された社員は重大責任です。社長の少しでも気に入らないことがあれば、怒鳴りつけられました。びくびくしながらパーティ中の司会をする社員を見てただただかわいそうだな・・・と思っていました。

さらに何か余興をやれ、と言われたので、新人だった私と同僚2人は、特技の楽器演奏をしました。カラオケで練習しなくてはいけないので、カラオケ代だけでも1万円が飛んでいきました。しかし、その費用が会社から出ることはありません。

さらに終わった後も何のねぎらいの言葉もなく、私たちは顔を見合わせました。

また、上司Bとバトルになった事件もありました。

毎年、会社が主催するイベントがあるのですが、それはれっきとした商業イベントで企業からスポンサーとしてお金をいただいていました。しかし、驚いたことに、イベント当日の日曜日に全員社員がスタッフとして参加しろというものでした。運営スタッフなので、拘束時間は1日まるまる、かなり大変です。

そしてさらに驚いたのが、その日曜日出勤分は固定残業代に含むので無給ということでした。これには私は激しく反論し、上司Bを論破してしまったので当日は来なくていいということになりました。しかし、毎年、この会社の社員は全員参加しているようでした。参加しなければ後で何を言われるか怖いため、参加しているということでした。

本来であれば利益を得てイベントをしているため、アルバイトなどで当日のスタッフを雇えば時給900円×20人×7時間というように、まあまあのお金がかかります。しかし社長はその費用を、社員が無給でやればただじゃん!ということで、社員を動員していたのです。

日曜日に出社したのに・・・残業・・・・!?(社員全員固定残業手当なので日曜出勤も給与に含まれる)

この時期から、私の退職に対する気持ちはかなり高まっていました。

 

ついに若年性脳梗塞になり、退職を決意

仕事は常に、椅子に座ってパソコンを見る毎日でした。今まで自由にお茶を飲んで同僚と談笑したり、外出して刺激を受けることはなくなりました。私の顔は、5歳くらい老け込んでいきました。仕事中に隣の同僚と雑談を始めると、人事のAさんが飛んできて「あの仕事どうなりました!?」と圧をかけてくるのです。

そのため、オフィスは自分が咳をするだけでも目立ってしまうくらい静かな環境でした。また、社長が高齢のため、気分の上下が激しく、機嫌の悪い時は周囲の人を怒鳴りつけたりと精神的に不安定になることが多かったです。

そのような環境でしばらく働いていましたが、長時間のパソコン作業によりわたしの体は徐々におかしくなっていきました。視力は低下し、肩こりと頭痛がやまなくなりました。また、家に帰ると無気力になり、ベッドに寝たきりになり携帯をいじる日が続きます。

今まで肩こりや頭痛とは無縁だったこともあり、病院を受診しましたが特に異常がないということでやり過ごす日々が続きます。そんなとき、徐々に顔の左半分がしびれはじめ、仕事が忙しいからだ・・・と無視していたところ、脳梗塞を発症しました。(脳梗塞の経緯についてはこちらの記事参照)

病院に行くと、若年性の脳梗塞は珍しいため、医者たちが集まってきました。そして搬送される私の横でなんやかんやと話し合っているのが聞こえました。

そして入院した日、すでに深夜でしたが上司Bへ携帯で事情を説明し、入院のため出社できない旨を伝えました。その上司Bは自分も病気になったことがある経験があったため、わかりました、ゆっくり休んでとだけ返信をくれました。

内心ほっとしましたが、人員不足のため月末の請求書処理が私しかできない状況を心配しました。一人で40社分の請求書を発行する業務が残っていため、少し悩みましたが、とりあえず眠ることにしました。(そもそもそんなこと悩んでる時点でおかしいんですがw)

その次の日、人事のAからメッセージがありました。そのメッセージは矢継ぎ早に今どんな状態か説明してください、病院はどこですか、ときていました。私はいま救急病棟におり、私自身もよく状況がわかっていないことなどをメールに書きました。

その瞬間、電話がかかってきました。救急病棟は携帯の使用はできないことと、脳梗塞から一夜明けただけで具合が悪かったため、電話での話は難しい、メールにしてくれとお願いしましたが、それでも着信は入り続けました。

非情に苦痛を感じたため、上司Bに連絡をして、申し訳ないが私も家族も動揺しているためしばらくは連絡を控えてくれないかとお願いをしました。上司Bが人事Aに伝えてくれたため、連絡は来なくなりましたが、正直ゾッとしました。

それから1週間、検査入院をし、全身くまなく調べましたが原因はストレスとしか言いようがないと医者に告げられ、退院しました。その2日後、わたしは義務感から出社しました。(超スピード出社)

しかし、出社してからも地獄でした。毎日続くひどい頭痛、四肢のしびれ、めまいなど、脳梗塞の後遺症が1か月は続きました。しかし、業務を手伝える人はおらず、一人でこなしていたため、さらに具合はよくならず、精神的に不安定になっていきました。

そして、仕事をパートタイムに切り替え、夏くらいに退職したいと申し出ました。

 

次の記事へ続きます。つづきはこちら

 

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