20代で若年性脳梗塞になって人生変わった件

 

こんにちは!はにーです。タイトルからして今回は重いテーマになりそうな感じなんですが、意外とそうでもないんで気軽に読んでください(笑)

まさか自分が20代で脳梗塞になるなんて思いもしなかったんですが、発症して落ち着いてきたので今回はその話をシェアしたいと思います。

 

転職・転居・結婚の人生の大きな転機

 

いままで海外で暮らしていた私ですが、そろそろ日本に帰りたくなったので、現在のベトナム人夫と海外で入籍を済ませてから日本に一人で帰国しました。ベトナム人夫はまだまだオーストラリアに未練があったようなので半年遅れで日本で合流することに。

ベトナム人夫は日本語ができないので、私が安定した職に就くしかありません。というわけで、正社員として高給をもらえる会社へ就職し、一安心でした。また、マンションも契約し、新しい生活をスタートさせます。夫が来るまでは一人で気楽に暮らそうと思っていました。

しかし、転職先がとんでもない会社だったので(これは今度ちゃんと別記事で書きます)、ハードな仕事と毎日のストレスで確実に私の精神と体はむしばまれていきます。しかし、これからベトナム人夫がきて結婚式の準備も日本語ができる私がすべてやらなくてはいけないため、痛みを感じないスーパー覚醒モードになっていました。(今思えばやばいw)

わずか半年間の間で3つの転機が訪れ、相当な負荷がかかっていましたが、とりあえずは気合で何とか乗り越える予定でした。

 

結婚式前後から体に異変が起こり始める

 

転職先の仕事は、まさかの実質一人部署で責任が重いものでした。私が入社して半年足らずで10人以上が辞めていくなど、毎月毎月退職者がでるくらいのブラックっぷりでした。毎月退職していく同僚を見送りながら、私は生活のために仕事をつづけました。

同じ部署の営業スタッフはやる気がなく、仕事をせずにパチンコやドライブで時間をつぶしていました。そのカバーをするのは、新人の私一人でした。毎日のように私の脳はブチ切れていましたが、それを表に出さずに何とかうまくやろうとしました。今思えば、毎日のように怒りMAXになっている状態が相当やばいことに気が付きませんでした。

さらに、ベトナム人夫が日本に来てからの行政手続き、そして結婚式の準備をすべて私一人で行ううちに、異変が訪れました。

結婚式の前に、姪っ子と兄夫婦と近くの公園へ遊びに行ったときのことです。姪っ子と楽しく鉄棒で遊んでいると、鉄棒でくるりと回った瞬間に鼻血がでたのです。頭痛もあり、疲れてるんだなこりゃ・・・と思いつつ、来る結婚式のことで頭がいっぱいです。というか、実は鼻血自体はその数日前からちょいちょい出ていました。

頭痛は結婚式パーティーの日にピークを迎え、割れるような頭の痛さの中なんとか友人同士のパーティーを終えます。今見ると、その時撮った写真は私の目が血走っていました(笑)しかし人間やらないといけない時はアドレナリンが出るようで、なんともありませんでした。

 

仕事を再開するも、異変は止まらず

結婚式が終わった翌週から仕事に復帰しました。私は実質一人しかおらず、私がいなければだれも請求書を発行できないという絶望的な状態なので出社するしかないと・・・。

そうすると、またクソ営業マンのストレスが襲ってきます。そうするうちに、体の左側に時々しびれを感じるようになりました。また、ある朝は、ピアスを左耳につけようとすると顔の感覚がなくなっていることに気が付きました。

触っても触っても、なにか陶器のような、不思議な感覚でした。左肩のひどい肩こりも3か月以上にわたり続き、今思えばここで病院に行くなり休むなりすればよかったのですが、あの時の自分は仕事をこなすことを第一に考えており休むことができませんでした。

 

忘れもしない、あの日

 

そうするうちに、そんな状態が慢性化していくのを感じました。麻痺してるけど、まあ大丈夫か、、、と仕事に行く日々。いつものように仕事先から帰宅し、ベトナム人夫と夕飯をとりました。

しかし、この時わたしはベトナム人夫と大喧嘩をしてしまいます。今までにないくらい大きな喧嘩で、お金に関することだったと思います。嗚咽が止まらないくらい泣きじゃくり、何も飲み食いせずにそのまま眠りにつきます。その時にはベトナム人夫も反省し、謝ってくれていたので仲直りはしていました。

泣きつかれて寝る前に、左半身に今まで感じたことないくらいのだるさを感じました。しかし、疲れ切っていたためそのまま眠りました。

深夜2時ごろ、ベトナム人夫はサッカーの試合を見るために起きてリビングにいました。わたしは、ふと目が覚めるのを感じました。そして、気づきました。

 

ヤバイ、左半身が動かない。

 

かろうじて身を起こすと、左側の手と足、そして顔までもがみるみる固まっていくのを感じました。不思議と恐怖はなく、何が起こっているかわかりません。日本語がわからないベトナム人夫に相談し、救急車を呼んでもらうことはできません。

すぐに実家の母に電話をし、説明したところ、血相を変えて「はよ救急車よべ!!!」と怒られました。なんとか呂律がまわったので、しどろもどろながら救急隊員へ説明をし、病院に運ばれることになります。

何が起こったかわからないベトナム人夫は言われるがまま救急車に乗り、心配そうにしていました。朦朧とする意識の中、ベトナム人夫は救急車でパジャマ姿のわたしになぜか靴下をはかせてくれました(笑)

 

若年性脳梗塞で即入院、一週間

そのまま病院へたどり着き、MRIに運ばれます。若年性脳梗塞はめずらしいのか、医者が3人くらい集まってきました。また、私の姿を見て実年齢より若く見えたせいか左半身を下にして寝ただけじゃないか?と話しているのが聞こえました。

MRIをとった結果、確かに脳梗塞の跡がありました。カテーテル検査を通して脳の血管を見るという話になりかけましたが、私は拒否しました。(怖すぎてw)

結局、そのまま入院して一週間様子を見ることになりました。その間、心臓エコー、四肢の血管エコー、心電図、首の血管エコーの検査が続きます。また、脱水にならないように一日点滴につながれていました。

私が入院したのは集中治療病棟で、ほかにも深刻な脳疾患で運ばれてきた患者さんたちがおり、ほとんどの人は体がマヒして一人ではあまり動けないお年寄りばかりです。幸い私は脳梗塞を起こした時、病院に運ばれた際に自力で急速に症状が回復し、薬剤などを投与せずとも後遺症が残りませんでした。(医者もこれには首をかしげていました)

リハビリ担当のスタッフと毎日、麻痺が出ていないか、話ができるかの確認作業を行い、問題があることはありませんでした。ひどい肩こりは相変わらず消えなかったので、その点だけ憂鬱な日々が続きました。

 

退院の次の週からまさかの職場復帰

 

1週間の検査入院の末、異常は見つかりませんでした。若年性脳梗塞の場合、心臓に問題があるか、もしくは血管の狭窄がみられるということでしたが、私の場合はそれもなかったようです。とりあえず半年くらいは様子を見ようということで退院。

血液をサラサラにする薬のみ処方され、退院しました。

 

しかし、それからが地獄でした。

 

請求書の業務はわたしのみしかできないため、それができなければ会社がとんでもないことになってしまいます。すでに1週間入院した私は、その翌週がちょうど、月末でした。

こともあろうか、わたしはその翌週(退院から2日後)に出勤を開始します。しかもめちゃくちゃ忙しい請求書業務をしに、です。しかし、この時の私に出勤しないという選択肢はありませんでした。(今思えば頭おかしいですよね?)

もちろん、私の体には相当な負担がかかります。毎日のように、頭をしめつけられるような意味不明な不快感と時々血流が悪くなったせいか意識が飛ぶときさえありました。それでも毎日出勤し、あまりに具合が悪くなると病院へ駆け込みましたが、今のところ異常はないからできる処置はないと追い返されました。

この3週間、わたしは地獄でした。毎日のように襲ってくる不調、そして繰り返されるストレス、そしてしびれ、、何よりも、毎日具合が悪かったため、もう明日起きたときには死んでいるのではないか?という死へのとてつもない恐怖と戦うことになります。

正直に言うと、遺書を書いておこうと考えることも頻繁にありました。母親にわたしがいなくなったらベトナム人夫に気にせずに再婚をすすめるように伝えることもありました。また、ベトナム人夫の前で死への恐怖から感情のコントロールができなくなり、泣き続けることもありました。

 

限界を迎え、退職を決意

 

一向に良くならない体と心を考え、何かが変わるかもしれないと信じて職場を退職することを決意しました。しかし、生活もあったので勤務時間を減らしながら融通を聞かせてほしいと会社に頼みました。

もちろんその部署は私のみだったので、辞められては困るということで条件をのんでもらいました。しかし、その際に法外に給料を下げてきたのでそこは戦って今の時給を維持するように説得しました。(ほんととんでもない会社なので別記事で詳細は書きます)

結局それでも3か月は辞めてくれるなという条件で働くことになりますが、退職が決まった瞬間、心が自由になり、希望をとり戻していくの感じました。わけあって急遽退職を迫られることになったのですが、意外とそれが良かったようで、今では、ほどんど症状は出ていません。信じられないことに、急速に体が快方に向かっているのです。

半年ごとのMRI検査においても異常が見られなかったため、結局原因は謎のままだったのですが、やはり一時的なストレスが重なったのだろう、ということでした。

 

病気になった本当の理由に気づいて涙した日

半年後の再検査の際、MRIに入って、大きな機械音を聞きながらまた私は弱気になっていました。

これで何か問題があったらどうしようと思い、もしかしたら脳に腫瘍ができてるかも、脳梗塞増えてるかも、、、といった恐怖にとらわれ始めます。

しかしその時、頭の奥から声が聞こえてきたのです。

 

「まだ起こってないことを心配するな!!!」

 

誰の声かはわかりませんが、突如頭の中に響いた怒号に私は落ち着きを取り戻します。

 

そして気が付きました。私は毎日のように恐怖や怒り、憎しみを頭の中に抱え続け、脳に多大な負担をかけていたことに。脳を不快にさせることはあっても、脳に楽しみを与えることがほとんどなかったことに。

自分で、自分の脳に負担を与え、苦しめていたことに、今になって気づいたのです。毎日、ストレスを与え続け、怒りを感じ続けていては脳がおかしくなってしまうということに気が付きませんでした。

その時、初めて私の心の中に、自分の脳や体に対する謝罪の心が生まれたのです。ただひたすら、申し訳ないと心の底から感じ、これからは自分を心から喜ばせる生き方をしようと、決意しました。

そうすると不思議なもので、体は加速的に快方に向かいます。その日の夜、わたしの左手が、自分の手に戻ったことをはっきりと感じました。触っていても、陶器ではない。これは自分の手だ、と自覚できたのです。

そう考えるようになって、暴走していた脳や神経は落ち着きをとり戻し、以前のようなしびれや痛みが消えていきました。信じられないかもしれませんが、自分の心や生き方が、脳梗塞という病気を作り出していたのです。

母からのすすめでいのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力 という本を最近読みました。この本はオステオパシー療法の本ではありますが、考え方としては私たちの体は本来、治りたがっている、健康になりたがっているというものです。

 

この本に書いてあることは、もしかしたら今の私にとって必要なものなのかもしれないと感じました。

あの時、医者に言われるままにカテーテルを入れていれば、私の体はさらなるストレスや負担で傷ついていたかもしれません。実際にカテーテルは健康な血管を傷つけるリスクがあります。しかし、わたしの体(もしくは本能)はそれを拒否し、結局はする必要のないものでした。

自分の体に向き合い、自分の精神に向き合うことはそう簡単ではありません。しかし、今回、若年性脳梗塞を通して私は大事なことに気が付くことができました。

今ある命は限りがあり、今の自分は生かされている、という気持ちが生まれました。また、自分を大事にしない生き方は、いつか自分自身を病気にしてしまいます。いうなれば、自分に嘘をつきながら生きても、結局は大変なことになるということです。

今、若年性脳梗塞で苦しんでいる方がいれば、希望を失わず、自分の心に向き合って、まずはひとつづつ問題を解決してみてください。もちろん、何か問題がある場合は外科手術などが必要ですが、脳梗塞の20パーセントは原因不明ともいわれています。

長くなってしまいましたが、少しでもこの記事が、助けになればと思い書きました。

病気は体だけではなく、心も蝕んでいきます。負けないように、と思えば思うほど、不安と希望が波のように繰り返し襲ってくることを知りました。

希望を失わず、自分と向かい続けることこそが、闘病において一番大事なことかもしれないと感じます。

 

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